医院ブログ2022.11.18
市場価値と「真価」
50代の人の転職に関する「あなたは高くて不味いレストランと同じ」
という題名の記事がありました。
自分や、はらデンタルクリニックの市場価値、そして真価について考えさせられました。
「あなたは高くて不味いレストランと同じ」50歳の元メガバンク支店長に職安職員が告げた”残酷な一言”(プレジデントオンライン)
https://news.yahoo.co.jp/articles/1c927d3f278f8479d22a2ce8c9008259c0e0652c
一般企業に就職した場合、50歳を過ぎて転職するときには年齢を重ねた事はマイナス要因となります。
勿論、色んな職種の人が今も働くそれぞれの人が、皆がその人達なりに頑張っています。
しかし「評価」というものは時に残酷です。ある指標に基づき算出される市場価値は、それまでの頑張りではなく、今の肩書き抜きの値段を評価されます。
この地で開業して15年目になります。
この地に開業した理由は本音を言ってしまえば崇高な思いがあった訳でも、歯科医院の院長としてやっていく十分な自信があった訳でもありませんでした。
元々歯科医院あるこの地は市街化調整区域で駐車場用地として法人が取得している土地でした。
市街化調整区域は病院と学校以外は建築をすることが出来ません。
しかし、それが法律が変わり病院学校も何も建築ができなくなることになりました。
つまり土地に関する法律が変わったこと開業のきっかけです。
父は小児科医としてこの地でそれなりに名前が知れていました。
それを上手に利用出来れば良かったと思いますが、当時の私は幼稚で世間知らずで(今も?)それが受け入れ難い事でした。
当時は親との関係性が悪かったのに加え、医師も家庭に生まれ、成績が優秀でなかったりうまくいかない事があると「原先生の息子さんなのに〜」、うまくいったら「原先生の息子さんだから〜」という声が聞こえてきました。
実際、開業してからも近い場所で開業している同じ歯科医師会の先生に「先生の医院が患者さんが来ているのは、お父さんが偉くて経済力があるから到底うちじゃ敵わないですよ」と面と向かって嫌味を言われたこともありました。
だから同じ法人に所属しながら、ある意味1番の「敵」が親でした。
実際に私個人には銀行から借入をする事ができずに、同じ法人で開業する事に加え実家を担保に入れてもらう事で何とか開業資金を用意する事が出来ました。
私にそれだけの市場価値がなかったからです。
銀行は勿論、世間から評価を受けておらず、力がないからこそ私は親とは関係ない自分独自の価値を示さなくてはならないと考えていました。
その頃の最も強い仕事に対して努力するモチベーションは「自分独自の価値を世間にも親にも認めてもらう事」でした。
向いている方向が自分の「欲」であるその時期の私の仕事は、強い向上心を持って努力はしました。自分の欲求の為に一生懸命はやっていた一方で、患者さんの本当の意味で心を汲み取って貢献出来てはいなかったと思います。
年月を経て未熟さからの失敗や判断の後悔を含めた経験と、患者さん、お世話になった先生方、一緒に働いてくれたスタッフとの出会いが私に気付きと成長をもたらしました。
後に私と医院の市場価値はあがり、増築する際には貸して頂けなかった銀行からかなり安い金利で簡単にお金が借りられる様になりました。
あれから15年、今では医院月に1500人程の患者さんが来院して頂ける様になりました。開業当時の私と医院には無かった「市場価値」をある程度、患者さんに認めてもらえた、と言えるかもしれません。
私は不完全で足りない事ばかりの人間ですが、自分に足りないもの、医院に足りないものを採用や教育、また研修や交流を通じて他の先生やスタッフに補ってもらい、力を借りることが出来た結果が今を創ってくれました。
振り返れば考え方も大きく変わりましたし、医療のことも経営のことも色々やりました。全てが効果的で意味のある学びや活動であったとは思わないですが、その時に最善と思ったことをやってきたので後悔はありません。
そして50歳を超えて高められる自分の価値とは?
頭の中にある知識と経験 そして2本の腕から生み出される技術は歯科医師としての価値です。
複数人のスタッフを雇用、教育をし、スタッフに成長と富をもたらし、多くの患者さんに満足して頂き貢献出来る歯科医院を創る事。
それが経営者としての価値です。
そして、自分自身が自分自身を価値がある人間だと認められる事。
誰かが私をこの世に必要だと思ってくれる事。
それが私という人間の価値です。
仮に今、ほぼ50歳の私がハローワークに行きはらデンタルクリニックの院長という肩書きがなく歯科医師として職を探した時に、私につけられる値段は自分の思う額ではないのでしょう。
また、仮に医院を売却しようとした時にはらデンタルクリニックにつけられる価値は、患者数や売上からのみ算出されるものでしょう。
これから私の人生は老いと共に気力や体力が落ちてくる時期に入って行きます。
若かった時と同じ働き方ではなく、年齢を重ねても世の中に生み出せる価値を考え高めていく必要があります。
私自身も、はらデンタルクリニックも「不味くて高いレストラン」にしない為に。
そしてうちでキャリアを積むスタッフが将来、うちを離れても惨めな思いをしなくて良い様に、それぞれの価値を高める事が出来る職場にしなくてはならないとも思っています。
そして
市場価値だけではない価値の存在を知り、それを高める事。
自分の過去の経験から実績を作る大切さと、世間の評価の厳しさを知るからこそ、市場価値では算出できないものの大事さを感じるのです。
それは過去に失敗をしたからこそ得られた反省や経験を活かす事であったり、信頼であったり、心のつながりであったりです。
これらを数値で表したり、目に見える形にするのは難しいので評価をしにくいものです。
人の人生を作り出すのは思考と選択です。
思考は目に見えたり数値で評価をするのは難しいけれど、未来を生み出すのはその目に目えないものなのです。
私が考える歯科医師としての数字にならないが価値を高める方法は
「当たり前以上のことをこつこつとやり続けること。患者さんに寄り添うが迎合はしないこと。治療の選択基準医学的と患者さんの意思を考慮しに妥当性のある決定をすること。どんな治療行為にも現在考え得る最善を尽くすこと」
経営者としての価値
「術者1人に依存しない組織作りを行う。院内での理念の浸透に勤め、理念に基づき患者さんに良質で均等なサービスが提供出来る環境作りをする。
患者さんの満足度、要望を敏感に感じながら医院の進化を止めない努力をすること。
時代は欠損補綴から、欠損を作らない為に何をすべきかに明確に移り変わっているます。
インプラント治療も補綴治療も勿論一生懸命行うけれど厳しい症例は原因があり厳しくなったのです。
インプラントでいかに骨を作ろうと、補綴治療でいかに精密な治療を行おうと、それはそこに至る原因が除去されていなければ、破綻を先送りするだけに過ぎません。
人は老いて必ず健康を失っていきます。
出来るだけ多くの人に健康でいられる時間、歯のことで悩む時間を少しでも無くす。
その為には、はらデンタルクリニックは小児期からの親御さんと御本人への思考と行動の習慣の構築が重要と考えています。
方法は分かっています。それを多くの患者さんは知らなかったり、また知っていてもセルフコントロールが出来ず行動として実行できないのです。
多くの人間はそれほど立派でも強くありません。だからこそ時間をかけて啓蒙し、実行できるように支援する事が出来る歯科医院が必要なのです。
具体的には
①中高生の時期に患者さん自らが口腔清掃がしっかり出来る様に指導、支援すること
②シュガーコントロールを啓蒙し、虫歯にならない食生活を送るための支援をすること
③歯周病菌が定着する高校生に時期に歯科医院に定期的に通う価値を啓蒙し、歯周病を発症させないこと。
④習癖の改善を行い、生理的な機能の発育を支援する。それは後天的要因で歯列不正を防ぐことも含む。また、歯列不正に先天的要因があると思われるときは早めに保護者に伝え、矯正治療をするしないに関わらずリスクと注意事項を患者さんのご家族が知った上で選択できる様にする
良い人材を採用すること、そして育成する環境体制をアップデートし続けること。
医院理念は
・はらデンタルクリニックはお互いを承認し合いポジティブな人生を手に入れられる場にします
・医学的、倫理的に妥当性のある個々の患者さんに必要な治療を安心安全に提供し続ける歯科医院にします
患者さんに対し、またスタッフに対し、医院に対して最善を尽くすという思考と行動を通じてスタッフが患者さんに貢献する仕事を通じ、承認される喜びや貢献出来る喜びを感じられる職場にする。」
人としての価値
「その人の喜びを自分の喜びとできる様な、信頼しかけがえのない人間関係を構築すること。起こる事象に対し肯定的な解釈を行い、感謝を忘れずに自分にも他人にも肯定と貢献の人生を生きること」
これらのことは形には表せないし、市場価値で考えると経営的な成功を収めない限り算出されることはない事柄です。
しかしそれが「真価」だと思います。
人生の時間には限りがある。
いつそれが終わるかは自分ではコントロールすることは出来ません。
しかし、自分の終わりもいつかはくる。その時に自分の人生に未練はあっても後悔のない人生であってと言える人生でありたい。
自分も、家族も、スタッフも「真価」を高めていける人生を送る為の思考と行動に努めたいと思っています。